A. 全員タイトル経験者のA級順位戦は、長い順位戦の歴史上たったの一度きり
【第70期A級順位戦(2011年)】
羽生善治、渡辺明、三浦弘行、谷川浩司、屋敷伸之、郷田真隆、佐藤康光、高橋道雄、丸山忠久、久保利明
史上最も過酷なA級順位戦の結末は、なんと羽生善治が9戦全勝で名人挑戦権を獲得
A級順位戦での全勝は、2003年の第62期A級順位戦で森内俊之が達成して以来8年ぶり3人目の快挙であった
なお、名人森内俊之が挑戦者羽生善治を下して防衛した
・同い年で小学生時代からのライバルにして親友
・奨励会時代からの研究仲間
・毎年のように名人戦番勝負で激突して名人戦だけで51局も指す(対局は羽生の27勝23敗1分、番勝負は森内の5勝4敗)
・2人揃って永世名人の資格を獲得
・森内がA級順位戦全勝で羽生に挑戦して羽生が奪取
・羽生がA級順位戦全勝で森内に挑戦するも森内が防衛
> ・森内がA級順位戦全勝で羽生に挑戦して羽生が奪取
森内俊之さんと羽生善治さんの4コマ pic.twitter.com/Cv3ehxga6S
— 牛帝@モテ即4 E-16 牛肉帝国 (@gyutei_4koma) June 5, 2016
【――覆す力――羽生に勝った男、森内俊之の生涯】
・1970年10月10日、神奈川県横浜市青葉台で生まれる。体重4075g、身長55cmという胎児離れした体格だったため、大変な難産だった。
・同学年には、羽生善治、郷田真隆、丸山忠久、藤井猛、先崎学、1学年上に佐藤康光、村山聖、1学年下に屋敷伸之、深浦康市がいる。
・幼い頃は落ち着きがなく、やんちゃな子供だった。デパートではいつも平泳ぎの練習をして物をねだり、母親を困らせた。
・母方の祖父は棋士の京須行男八段。祖父は森内が生まれる10年前に死去していた。小学3年生で将棋と出会った森内は、祖父の形見の駒を貰う。
・祖母から雑誌『将棋世界』を与えられた森内。落ち着きのなさはすっかりなくなり、祖父の駒を片手に驚くべき集中力で日夜猛勉強に明け暮れた。
・将棋を始めて一年。1981年1月6日に小田急将棋まつり小学生大会の予選2回戦で羽生と対戦した森内は、ツノ銀中飛車で勝利。しかし、翌日に行われた本戦準決勝で再戦し、今度は完敗。生涯のライバルとの出会いだった。
・1981年8月、「東京都下小学生名人戦に出よう」と羽生に誘われて八王子まで行く。しかし、神奈川県在住の森内には参加資格がないことが判明し、羽生の優勝を観戦して帰る。
・1982年4月、小学生名人戦にてTV初登場。しかし、「リハーサルと同じ様にお願いします」というADの言葉を勘違いした森内は、将棋でもリハーサルと同じ手を指し続けて惨敗。優勝した羽生とは対戦できなかった。
・1982年8月、東京都下小学生名人戦に参加。実は、前年に森内が参加できなかったことを不憫に思った主催者が、県外参加もできるように規程を変更してくれていたのだ。決勝で羽生を204手の泥仕合の末に下し、初優勝。
・1982年12月、羽生とともに奨励会を受験。入会試験では、後がないところから3連勝で合格。林葉直子女流王将も香落ちで破った。同年12月2日に勝浦修八段門下で奨励会入会。
・奨励会1級のとき、高柳道場で中原誠名人と対局。負けはしたものの名人相手に大熱戦。中原は後年「ひっぱり込むような受けをされ、負かされそうになった。これは強くなると思いました」と語った。
・1986年、奨励会二段の頃に、島朗六段から研究会の誘いを受ける。森内が佐藤康と羽生を誘って4人で伝説の「島研」を結成。島研メンバーはのちに4人全員が竜王を獲得、島以外の3人が名人を獲得することになる。
・1987年5月13日、三段昇段後に12勝2回の規定により四段に昇段。プロ棋士になる。翌月から制度が変わって三段リーグが復活したため、三段リーグを経ていない最後の棋士となる。
・インタビューでは、「目標は名人です」「尊敬する棋士は米長九段」「ライバルは羽生善治、佐藤康光、先崎学」と語る。ちなみに、好きなタレントに南野陽子とWinkを挙げる。
・森内はプロ初戦から9連勝。新人王戦と早指し新鋭戦で優勝して鮮烈デビューを飾る。早指し新鋭戦では翌年も連覇。決勝の相手は2年連続で羽生だった。
・1989年3月13日、弱冠18歳にして全日本プロトーナメントで谷川浩司名人を下して優勝。升田幸三から「四段が名人に勝っちゃいかん」と苦笑される。「東の正横綱を十両12枚目が破った」と報じられた。
・どんな攻めも通さない徹底した受け将棋。相手の攻め駒を責めまくる棋風で大旋風を巻き起こし、「鉄板流」「鋼鉄の受け」と称される。
・棋士として活躍する傍ら、キリスト教系の中高一貫男子校だったサレジオ学院に在籍。なお、高校生ながらこの頃すでに年収600万円を超えていた。
・キリスト教徒の加藤一二三九段から一方的に親近感を持たれ、「森内さんと二人っきりになると、ずっと沈黙だが、そこには暖かい空気が漂っている」と言われる。
・プロ棋士になって揮毫する機会が増えたため、書家に弟子入り。平日の昼間から教室に通っていたので、先生から長距離トラック運転手などの深夜労働だと思われていた。
・棋士以外の友達が欲しかったので、インカレサークルの慶應義塾大学クイズ研究会にも参加。メンバーからはただのフリーターだと思われていた。
・1990年、竜王戦4組で吉田利勝七段と対戦し、必勝の将棋を逆転負け。感想戦で「君は詰みが読めなかったの?」と煽られる。怒りを静めるために、気温5℃の中、5時間かけて自宅の青葉台まで革靴で30kmを走破。
・1993年、全日本プロトーナメントで河口俊彦六段をわずか36手で瞬殺。河口は謙遜のつもりで「私より大駒1枚強い」と語ったが、ファンからは「飛車落ちでも無理」と揶揄される結果に。
・順位戦26連勝の大記録を樹立し、C2からB2まで連続昇級。27戦目に敗れて9勝1敗で頭ハネを食らったが、翌年からあっさり2年連続昇級であっという間にA級に到達。
・羽生と佐藤康と三人でパネルクイズ・アタック25のパネルの開け方を共同研究。深夜の雨の中、首都高を運転初心者の佐藤の車で帰ることになり、死にそうになる
・1995年、全国で4人しか通過できない一般予選会を勝ち抜いてアタック25に出場。奮闘するも優勝はならず。
・A級順位戦では初参加でいきなり優勝。1996年の名人戦挑戦を決める。初タイトル挑戦となる名人戦の相手は羽生。
・第1局、記録係から封じ手を促されたが、自分の時計ではまだ30秒前だと主張して着手。解説の米長は「もう羽生とは口をきかない、死ぬまで戦うぞという宣戦布告です!」と絶叫した。
・翌日、「秘密を抱えて一晩過ごすのが怖かった」と謝罪。対局は敗れたが、2人で談笑しながら感想戦を行い、友情に変わりがないことを見せつけた。なお、これを機に封じ手時刻計測用の精密時計が導入された。
・第2局、第3局と連敗し、後がない第4局。今度は封じ手時刻5秒前に着手して再び阿鼻叫喚。この対局に勝って初勝利を挙げる。途中、金駒8枚を独占したことから、新聞に「高額納税者の羽生七冠王を金欠にさせた」と書かれる。
・第5局は大逆転負け。感想戦で羽生から「この形が詰まないことは100年前から知っていました」という名言が飛び出して驚愕。初のタイトル戦は1勝4敗に終わったが、史上最高の名人戦と讃えられる。
・芸能人の志村けん、渡辺徹と知り合い、棋士仲間の佐藤康光と4人で飲みに行く。場所が分からず4人で迷子になったが、森内が店の電話番号を暗記していたおかげで事なきを得る。記憶力に志村と渡辺は驚愕。
・一時期、羽生が約8割の確率で先手番を得ていたことに疑問を抱き、自宅で振り駒の公平性を検証。一人で数千回も駒を振り続け、「歩兵」のほうがわずかに表になり易いと判明したが、誰からも相手にされず凹む。
・米長が自慢にしていた米長邸の菜の花畑を見せられるが、「立派なレンゲですね」と言って凹ませる。
・棋士仲間と雀荘に行き、席に座っていると、女装した店員に声をかけられる。話を聞いてみると、その店員はなんと小学生名人戦でADの言葉を勘違いして敗れたときの対戦相手。実に20年ぶりの再会だった。
・1998年、羽生の妻が自由が丘で開いたおにぎり屋の常連客に。関係者から不思議がられる。なお、おにぎり屋は半年で閉店した。
・1999年棋王戦、久しぶりにタイトル戦登場。相手は羽生。対局中に記録係の飯島栄治に熟睡される。1勝3敗で獲得ならず。
・TBS「史上最強のクイズ王決定戦ライブ」で林葉直子が九州地区のタレントゲストとして出演。森内は関東地区の一般参加者として密かに出場していたが、ひっそり敗退した。
・2001年に「クイズ・ミリオネア」に登場。肩書は「森内俊之(30)、職業:団体職員」。最後の並べ替えクイズで撃沈して賞金獲得ならず。
・2002年、二度目の名人挑戦。丸山忠久を相手に4連勝のストレートで名人奪取。ついに小学生時代からの夢を叶える。
・名人奪取の翌月に婚約を発表。妻とは、行方尚史がセッティングした合コンで知り合った大学教員。なお、後に「歴代永世名人は見合い結婚」という法則を初めて破ることになる。
・「ご自身の恋愛を将棋に例えると、どういう棋風?」と訊かれ「鉄板流」と答える。
・小学館の英和辞典の「master」の項目に「Mr. Moriuchi is a master of Japanese chess.(森内先生は将棋の名人です)」という例文が掲載される。
・名人就位後、NHK将棋講座の講師を務める。講師は初めてで気合が入っていたが、始まってすぐに、講師の座を聞き手の千葉涼子に奪われる。
・2003年、初の防衛戦。相手は羽生。夕食休憩でカレーを食べてから一手も指さずに投了。カレーを食べたいだけの意味不明な行動が「カレー投了」と揶揄される。
・無冠になったがここから快進撃が始まる。次々と挑戦権を獲得すると、2003年の竜王戦・王将戦、翌2004年の名人戦と羽生を相手に3連続奪取に成功。羽生キラーとして恐れられる。
・特にA級順位戦では史上初となる9戦全勝の快挙を達成。最終戦では恩師の島を負かしてB1に叩き落とす。その後に行われた打ち上げ麻雀でも、国士無双を和了って、島を倒す。
・2003年は最優秀棋士賞を初受賞。2004年には獲得賞金は1億円を突破したが、麻雀卓を購入して残りを全額貯金する。
・2004年、竜王戦の前夜祭で加藤一二三がグラスと間違えてマイクを掲げて「乾杯!」と高らかに叫ぶ。それを見てビールを吐きそうになった森内、無事竜王失冠。
・2005年3月、10年ぶりにパネルクイズ・アタック25(1500回記念大会)に登場。「あ、はなみ」の勝負手が炸裂し、見事優勝を決めてフランス旅行を獲得。ホノルルクラブの入会資格を得る。
・2005年名人戦、挑戦者は羽生。第5局では相横歩取りをやろうと「羽生の頭脳」で予習したが、本に載っていない変化になり、惨敗。フルセットでなんとか防衛。
・2006年、通算1000対局目の節目の一局で羽生から棋王位を奪取を決める。
・2006年名人戦、挑戦者は谷川。対局中にトイレに行った際、ドアの故障で閉じ込められる。近くを通った観戦記者が気付くが、手助けは公平に反するとの理由で放置。なんとか自力で帰還して防衛した。
・2007年名人戦、挑戦者は郷田。郷田が扇子を鳴らすのにイラついて口論になり、興奮しすぎて鼻血を出す。それでも4勝3敗で防衛を決め、羽生より先に十八世名人の資格を得る。
・2007年、永井英明氏の盤寿を祝うパーティーの帰り。エレベーターが定員オーバーになると、なぜか名人の森内が率先して降りて一人階段へ。
・2008年、JT杯で佐藤康光と対戦。久し振りのライバル対決に気合いが入っていたが、対局会場の前で受付嬢に一般観戦者用のパンフレットを渡される。
・下北沢名人戦の会場で飯野健二が遠くにいた弟子を手招きで呼んだところ、自分が呼ばれたと勘違いした森内がニコニコで飯野に近付いて来て、飯野を恐縮させる。
・喫茶店でオムライスを食べていると、ロックバンドのエレファントカシマシの宮本浩次に突然サインをねだられる。
・2008年の名人戦、相手は羽生。第3局で、見落としから急所の銀を抜かれてびっくり。深浦曰く、「30cm飛び上がった」。久々に名人失冠し、羽生が十九世名人資格を獲得した。
・小さい頃から可愛がっていた妹が結婚。感慨で胸が一杯になっていたが、
結婚式の日を一日勘違いして、式の途中で呼び出される。
・木村一基と対戦した際、顔を真っ赤にして対局。後に木村から「よほど一生懸命に指してくれたのかなと思い、嬉しかった」と感謝されたが、「あの時は花粉症で…」とあっさり答え、ガッカリさせる。
・棋士の間では、ジャンケンをして食事代を誰が払うか決めていた。しかし、森内が細かく統計分析を行って無敗を誇っていることが判明し、コイントスに移行した。
・チェスに興味を持ち、先生を呼んでルールを教わる。そして直後のゲームでその先生に勝利。調子に乗って欧州の大会に出て、ベスト8入りし、「アジアの新星」と現地で報道される。
・トランプの大富豪、花札、モノポリーなどどんな遊びも全力。出たカードを全て記憶しているので相手の手札をズバズバ的中させ、棋士仲間からエスパー扱いされる。
・女流棋士になるかどうかが注目されていた天才美少女の竹俣紅。両親から「人格者で知られる森内先生が師匠になってくれるならば…」と承諾され、森内門下で女流棋士に。
・2010年、大和証券杯ネット将棋最強戦で決勝敗退。ネットの感想戦で「尾車川の振り飛車側の?振り振り」「OK?」「直りました^^」という意味不明なコメントを残す。
・2011年の名人戦、最終局を迎えた時点で、羽生が公式戦8連勝中、自身は公式戦5連敗中という状況だったが、会心の指し回しで3年ぶりに名人復位を果たす。
・2012年、挑戦者は森内以来史上2人目のA級順位戦9戦全勝で挑戦権を獲得した羽生。森内は公式戦11連敗の絶不調だったが、下馬評を覆して防衛。前年に続き将棋板を大混乱に陥れる。
・2013年、神奈川イメージアップ大賞を受賞。その後に行われた名人戦でも羽生を退け、3連覇を達成。さらに渡辺明から竜王も奪取。谷川羽生に次ぐ史上3人目の竜王名人となり、最優秀棋士賞を獲得した。
・この年、タイトル戦の二日目でことごとくカレーを注文。元から好物ではあったが、ついにカレー必勝定跡を確立する。2013年9月、「名人を囲んでのカレーと自然食の夕べ」を開催。
追加
・2ちゃんねるの森内アンチが絶不調の森内をバカにするために作ったコピペ「流れは完全に森内」が森内のV字回復に伴ってすっかり縁起コピペに変貌。
・2013年の竜王戦では、森内ファンが「流れは完全に森内」を連投したことで大流行。ツイッターを通じて外部に広まり、連盟公式ツイッターまでつぶやく大ブームとなった。
・2014年、名人戦の相手はまたも羽生。実に4年連続9度目の羽生対森内の名人戦となったが、ついに力尽き失冠。ついでに竜王戦でも糸谷哲郎に敗れて無冠に。
・失冠を機にバックギャモンの勉強を始める。その年の8月、いきなり世界バックギャモン選手権に出場して4位入賞。
・2016年、将棋ソフト不正使用冤罪事件が発生。トップ棋士たちが次々と冤罪に加担して連盟が大混乱に陥る中、一人バックギャモンに明け暮れ、自己最高を更新するレート1105の大記録を達成。
・2016年、順位戦B級陥落が決まるとフリーランス宣言をしてあっさり順位戦引退。潔く身を引く。翌年から日本将棋連盟専務理事に就任し、冤罪事件の尻拭いに奔走。
・2018年、弟子の竹俣紅が連盟退会。将棋の勉強をサボって芸能活動ばかりの弟子に悩まされる日々から開放される。女流棋士を辞めて芸能人になってからも、なぜか竹俣のことを可愛がっている。
・2019年、専務理事の任期が終了。挨拶で噛みまくるなど理事の仕事は向いてなかったことを悟る。再選に出馬せず、ついにただの「将棋の強かったオジサン」になる。
・現在、趣味に全力を出しつつ将棋教室で子供と触れ合い、たまに対局で若手にボコされる充実した老後を送っている。
≪ 【女流王将戦】西山朋佳女王が先勝 | HOME | 日本将棋連盟HP・棋士プロフィール画像、30名以上大量更新 ≫
今期も全員経験者やし
実質森内アン チ煽りスレやんけ
大名人だよ
他の棋戦では手の内を見せないからだよ
最強になるためには竜王名人のどちらかのタイトルは必須だからね
そしてその木村は今年になって王位を獲得して戻ってきたと
各棋戦で全く見かけなくなったよな
調べてくれた人に感謝する
もう少しがんばってほしかった
年上の塚ポンに負けちゃだめでしょ
そりゃB1ならあるはずのシードすらなくなって予選からの参加になったのと
その予選であっさり負けてるからだな
地力がとんでもなくて誰に対しても強いってタイプでもなさそうだし
森内も相当な人格者と思わせておいて、実は単なる変な人だった様な。
久々に森内テンプレみたけど、アップデートしてて草だったわ
二上、内藤、米長、原田、升田、有吉、塚田正、加藤一に勝利
これはこれで凄い面子だな…
流石中原先生
大山大元帥、二上中将、内藤中将、米長元帥、原田少将、升田大将、有吉少将、塚田大将、加藤大将
(浩大将)です。
なお木村義雄十四世が4勝1敗で防衛した。
糸谷って早指し苦手なん?
これ超えれるやつこれから出るんか?
三浦○丸山○渡辺○高橋○佐藤康○屋敷○久保○谷川○郷田○ 9-0
第71期順位戦(2012-2013)
深浦○郷田○谷川○屋敷○佐藤康○高橋○三浦●渡辺○橋本○ 8-1
第72期順位戦(2013-2014)
谷川○佐藤康○三浦○渡辺○屋敷○行方○久保○深浦●郷田○ 8-1
この3期が順位戦で一番羽生が強かった時期だろうな
瞬間最大風速の間違いだろ
将棋界のリア充だな
むしろ無冠時代の森内の方が腰の据わった強さを感じた
棋戦も獲りまくって最初からずっと強かったぞ
「順位戦26連勝」という歴代最多記録も持っている
「A級順位戦を9戦全勝」してその直後に名人を奪取した唯一の棋士
A級順位戦全勝者(羽生)から名人を防衛した唯一の棋士
名人戦に限れば羽生に勝ち越している
森内は羽生より先に永世名人資格を得た(18世)
チェスはFMレベル
バックギャモンは世界最強レベル
昔から実力の森内と言われてたからな
絞って永世名人になれるもんならなってみろ 森内以外には無理だから
本気出した森内こそが最強だったんだよ
順位戦、名人戦に絞るのは当然のこと
殆どの棋士はそこで全力を出す
そう言った修羅の中で飛び抜けて強い森内こそ真の最強棋士
順位戦26連勝や、名人戦で羽生に3年連続勝利、最後の竜王名人、の森内がどれほど凄いことか
森内はレジェンド
飛び抜けて強かったわけじゃなくてあくまで羽生との戦績は五分だったけどな
そして羽生は名人戦以外でも活躍しまくってたから・・・
これもさりげなく格の違いを表してるね
棋戦優勝は有ったから運かな
森内は神
タイトル60期ぐらい攫うやつとその他のやつとは格が違う、みたいなこと
稲葉 糸谷豊島はタイトル獲ったから俺も!
豊島 ふーん
菅井斎藤 タイトル獲った、俺もA級に!
山崎 みんな大きくなったなぁ
これどういうことだよwww
ケイタ 稲葉菅井、あと船江一番がんばれ
桐山 豊島くんは大丈夫
森信 金太郎ふーちゃんかわいい
久保 おまえら潰しあえ!
森内>羽生の模様
流れは完全に森内
時代に適応できない森内が悪い
左美濃が出始めてからは十八番の矢倉ですらついていけなかった感
名人4連覇も最大瞬間風速竜王名人も矢倉あってこそだったからね
羽生永世7冠。
流れは完全に羽生。
激やせぶりも話題になってたし、笑い話にしていいとは思わない。
次世代も育ってきてるけどキャラが立ってなくていまいち覚えきれん
50弱のおっさんを君呼びて
いやいやエレベーターは助けてやれよ
おかしいだろw
なんなんだこの人
年金世代なんだろ
羽生少年「森内君が出てると思ってこっち(横浜)に来たよ」
7人だから更に厳選されてそう
似たようなのでは69期が木村先生以外タイトル経験あり
それ以外は72期(行方),71期(橋本),65期(阿部),53期(森下)が惜しかった
数十年後に藤井聡太も永世七冠資格保持者になったら??
↑_これは西田敏行 ↑演じたのは森下帝王のご子息