【#将棋の日 記念企画 序盤】
— ニコ生公式_将棋 (@nico2shogi) 2018年11月16日
11月17日は『将棋の日』です。
江戸時代、旧暦11月17日に将軍の御前で対局が行われたことに由来する記念日を祝って、最古の棋譜と言われる大橋宗桂 vs.本因坊算砂の対局を電王盤で再現。
序盤・中盤・終盤、3本の動画にしました。
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【#将棋の日 記念企画 中盤】
— ニコ生公式_将棋 (@nico2shogi) 2018年11月17日
11月17日は『将棋の日』
この記念日を祝って、大橋宗桂 vs.本因坊算砂の対局を再現。
大橋宗桂(初代)は将棋の一世名人。本因坊算砂は初代の碁所(名人)でもあります。
中盤のせめぎ合いをお楽しみください。
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【#将棋の日 記念企画 終盤】
— ニコ生公式_将棋 (@nico2shogi) 2018年11月17日
11月17日は『将棋の日』
この記念日を祝って、大橋宗桂 vs.本因坊算砂の対局を電王盤で再現。
大橋宗桂の棋譜は本局を含め8局が現存。
本局は宗桂が133手で勝利しました。
現代にも通じる終盤術をお楽しみください。
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現代の定石を勉強したらどんな将棋を指すのか
先手にも後手にも急所が色々あるし
23手目の56歩とかは俺からすると疑問手だけどな
本因坊に対する舐めプのような気もするが
先手:初代大橋宗桂一世名人(53歳) 後手:本因坊算砂一世本因坊(49歳)
○大橋宗桂 ●本因坊算砂 133手
やっぱ将棋はe-sportsよりすごいところ多い
後年将棋のトップを大橋に譲って本因坊家は囲碁を選んだ
ツイッターの動画投稿が140秒だからそれに合わせた画質にしてるんじゃない
たぶん133手分を1本に入れたら低画質&進行が早くなって
見えづらいとか早くてわかりづらいとかクレーム入りそう
まあ結局何しても文句言う人間はいるだろうけど
どちらもできる者がほとんどで、宗桂も囲碁を打てたという説もある)。
ただし、残されている二人の将棋の平手戦の対戦は宗桂の7勝1敗であるため、
勝浦修によると「宗桂は算砂より角1枚分強かった」という。
しかし、古作登は算砂の将棋棋譜を再解析、コンピュータ将棋での
局面評価結果が互角に近いことや、宗桂の息子の宗古の指導を行っている
ことから、算砂の将棋の棋力は相当に高かったとしている。(Wikipedia)
僕が行って指したらお互いギョッとすると思う。
なにその指し方って。
転生先で菓子屋の三姉妹と仲良くなる所からスタートするわ
美濃囲い知っているだけで強い扱いとか・・・
家康は将棋強かったのか
どの程度指し手を理解していたのだろう
寺子屋でいじめに遭う次女を救ってあげてね
金(あるいは米)は出したが、あくまでスポンサー
切れ味鋭い終盤とソフトの序盤研究って相性いいし
カラフルなスーツ着たら藤井七段でも苦戦しそう
天童藩でも将棋駒を作る事に当初は藩士や領民の反対が多かった。
定跡知らずに力戦しかけてくる相手なら、堅い・攻めてる・切れないの餌食になりやすそう
俺のレベルじゃこいつらの強さがわからん、大して強くなくない?って思っちゃう
桐山零之介は暴れた牛車にひかれる事故で両親を失い、将棋所の寺田家の養子となる
内弟子となって15歳で棋士となるも、嫉妬した先輩に無理矢理に酒を飲まされ酔い潰れたところを菓子屋の娘の明に介抱され…
時代考証ガバガバ、難しいわこれ
まぁそれでも四間飛車VS右四間の対抗系で現代の将棋と遜色ないのはすごいね。
将軍が観戦に訪れることはほとんどなく、老中がごく短い時間
観戦する程度であった。また、その日の内に勝負を終わらせるしきたり
となっていたが、初期の頃は定刻までに勝負がつかないこともしばしばで、
そのときは老中の家に移って指し継がれることとなっていた。
老中側も公務を妨げられることから、煩雑を避けるためにも、
元禄のころからは事前に指しておくようになり、
城内ではその手順を再現する「儀式」と化していった。(ウィキ)
これからはそこを軸に考えるよう心がけるわ
ましてや、この詰将棋を自作出来るなら確実に作者は今ならアマ四段相当はあったと思われる
当然、棋書などほぼ無い時代なのだから脅威的な棋力
これから百年近く経つと無双・図巧が出来て611手詰の詰将棋が出て来るのだから、情報や研究が少なかっただけで、江戸時代の人間も才能は凄まじいものを持っていたのではなかろうか
ご利用は計画的に
しかし賭け碁の世界でも、三千両稼いだ人物が江戸時代にいたらしい
今の貨幣価値なら億?
なんか違う指しかたがあったような気がする、という漠然とした捉えがたい記憶?に苛まれながら悪戦苦闘する
そも、ソフト解析屋によれば戦後の棋譜より江戸の棋譜のほうがはるかに質が高いらしい
まあ残ってる棋譜の数とか、持ち時間考えると単純比較はできないだろうけど
ウォーズ初段くらいじゃね
いやディスっていいわ
強いの?
心配しなくてもおまえらなんて飛車落ちでも宗桂に勝てんから
10人くらい首飛ぶでぇ
進んでるのは各分野の知識や技術だけ。
その時代のトップに力戦挑まれて勝てるとか言ってるやつはどんだけ自信があるんだよ
序盤は分からんが中盤と終盤の地力は流石やな
そんな時代にどんな感じで将棋とかやっていたのか気になるけどタイムスリップで行くには怖そう(笑)
信長は大の囲碁好きで打つのも見物するの頻繁に行った
ご存知名人制度を作り出したし、本能寺の変の前夜も当時の強豪同士の囲碁対局を見物していた
秀吉は囲碁の勉強はしたこと無い(当時の武家は幼少期の必須学問)
デタラメに強かったらしく腕自慢の大名や豪商が不思議な負け方をしたと日記に書いている。但し空前絶後の権力を持っていたからかなり割り引いて聞いたほうが良い
家康は下手の横好きで同棋力の浅野長政とは囲碁仲間だった
囲碁にはかなり熱くなるタイプで浅野長政には碁で負けた翌日にあいつとは絶交したと側近に愚痴る癖があった。そう言いながら長政とは終生碁の対局を行い、長政の隠居地も江戸に近い笠間に5万石も与えている
将棋の方は…
信長にはほぼ逸話がない
秀吉は将棋のほうが好きだったらしく将棋に関する逸話も多い
家康は武家に囲碁将棋を勧めているが囲碁好きであんまり逸話もない
活躍でき無さそう。
「少なくとも私より強い」と言ってるんだから
江戸時代の人間をあなどれない
将棋は逆転のゲームだからいかにも成り上がりの秀吉が好みそう
逆に家康なんかもろ地道な囲碁って感じ
イメージだけど
お前らじゃ勝てんよ
本当なら10番指せば1回は勝てると思う
まあ江戸時代で一番強いのは天野宗歩で宗歩には逆立ちしたって勝てないだろうがね
嫌な奴がいるなぁ。
現代は充実した勉強環境があってそれだ
積み重なった知識も体系化された情報もなく、自らセオリーを作っていくような草分けの時代、しかも強い相手を見つけて指すことだって気楽には出来ない
そんな中で奨励会員級の棋力なら立派なものじゃないかね
もっとも、時間ほぼ無制限でこれだろうから持ち時間15分でこの内容は指せないだろうが
棋書も買わずネットも使わず、友達同士の我流対局のみでここまで行けるかと言われたら絶対無理